再録1/13分

ボクは、奥深い洞察をもって発言するよりも、情況の示唆と情況の変化推移に対して

後だしジャンケンにならないように、老化脳にムチうって、カケ足発言している。

しかし、日々の賃労働や営みの只中で錯乱と共に、問題事項は走馬灯のように、流れてゆく。あたかも錯乱時の苦し紛れのごとく・・・・。

今、いろんな上場企業のトップが、本音か外交辞令がしらないが、尊い命を(非正規解雇)削りながら、必要な研究開発の投資を死守

する旨の発言が相次いでいる。

こんな発言は、使い物にならないものと見ている。

自分ところの会社が勝手に<必要>と考えているだけで、古い死枯化したこれまでの経済危機前の考えを前提にしてやっているとしか見えて

こない。自分ところの会社が勝手に<必要>と考えているだけで、今まさに、諸矛盾が露呈している事の問題を洞察しようと言う、情況への

初歩的な謙虚さのかけらもない。

以前の旧サイズの服に、新たしい身心を(全然!新しくなっていなくて、自分達が勝手に

<必要>としている事を、危機感と押されているだけ!)で、袖を通すこようなもので、服がボロボロに破損するし、そうなるまで気がつかいのだろう。

後に述べるように、矛盾が混乱と悲劇として、常に<もっとも弱い部分>に、それが露呈している事に、無頓着である部分の会社は、情況に、

そう遠くない日に潰されることになる。

更に

その前提のスタートラインを、露呈の矛盾を解明してスタートラインを新たに揃えて、それで深く反省的に検討して、例えば<必要>な研究開発の

投資はこれ!言うのでなければ、このめちゃくちゃな情況に対置できることも、太刀打することも出来ない。

例えば、

簡単に(=乱暴に)言えば、日本国の大手自動車メーカーは、今のスタートラインの整え方が、(整えていると言うより、闇雲に唐突に突き進んで

いるだけ?)今後自転車メーカーの性格が纏わり付いた企業になるのです。

排気ガスなし、販売拡大なしの企業であって、そのスタートラインで、新たなスタートラインを整えて、新たな戦略を立てられるのか?

そのこころは、ブータンの幸せ指数を睨んで、それに対置できるものでなければならないと、ボクの方は確信しています。

(10月31日 Kuranbonブログ参照)

これが、円滑に進まないならば、円滑に進まないそれぞれの分野で、混乱と悲劇が起こるだろう。例えば、政治の分野、経済の分野、雇用の分野、

社会保障の分野、医療体制の分野、海外協力の分野、など。

歴史の明示するとこは、混乱と悲劇は、常に<もっとも弱い部分>に、それが露呈します。

勿論、雇用の分野の「尊い命を(非正規解雇)削り」であり、それは竹中平蔵の言うように、改革が途中で抵抗で渋滞したからでは、断じてないです。

(⇔この項、竹中粉砕は時間が割けけたらやります。)まず、竹中らのやった事は、何処に対して改革なのか? そもそも改革なのか? 利権やお金のとっかえヒッカエじゃないのか? 霞ヶ関が反対することは=正義や改革であるとは限らない。



補1) 米国は、まだまだドル紙幣をばら撒く事になる。あたかもヘリコプターからドル紙幣をなき散らすように、。フリーズしたドルが、解凍しは

じめるまでやるしかない。その結果、ドルが下がっても、これは対症療法であり、解決とは別のことです。

補2) 国会の動きより、渡辺氏が離党についての麻生のコメントが、単細胞で面白かった。

   たくさんあるどうでもよい一般的な受け答えの中から、最も汎用性のある(=非、無個性的)コトバを選んでヌケしゃしゃと喋っていることです。

   だれがどんな党派性を離れるとか入るとかは、誰でも、その人の考えに基づくことは、誰でも承知していることであります。総理総裁として、

   発言をするときに、こんな非、無個性的なことしか言えないとは、許しがたい!

   更に、

   この麻生は、他人一般を批判するときのコトバの置き所に、節操がない。相手を切り傷める事だけに使われている。だから後々、災いを生んでいる。

補3) アエラの今週号に日比谷公園派遣村のルポが載っています。一読に値するが、精読が必要。