情況への発言2

「もやい」など連合体による元派遣などへの炊き出し会が貫徹されました。
とにかく、緊急対処がかろうじて実行されました。(かく言うボクは、傍観者です)
しかし、報道によれば今後も流動的であり、行政のていたらくを顕在化させる報道(運動)
が望まれます。
「もやい」など連合体内部でどのような検討議論が行われているのかは未知ですが、私の洞察では、
「もやい」は、社会ノベーション的にいわば出たとこ勝負の闘いをして状況を独自に切り開ていると見ています。
その心は、情況に対して、自立して独自に立ち振る舞っている。あたかも孤立しながら。
500名の尊い命は、生存権は500人を超えて、運動化と拡大的流動化を引き起こして行くし、
またそう『「もやい」など連合体』は、自覚的であるとか、無自覚的であることに関係なく、して行くことになる。
雑な言い方になるが、人は自分達が見たい事実を観て、歴史の像や歴史からの未来の像を
イメージしてきた。
しかし、この件では、500名及び拡大する500名は、、我々が見たくもないものを観させてくれるものだ!
湯浅さんらは、炊き出し会をやるときパブリックな建物を手当てする外国の例など知らないはずがない、
また想定希望しないはずがない。(健が想定していることを既に知っていると確信していますと言うこと。)
更に、東京・名古屋と炊き出し会が起これば、全国津々浦々に炊き出しを必要とする尊い命、生存権が未知の
まま置いてきぼりであることは、わが国の政治屋及びその周辺以外は
考えられると健は思うのだが・・・