大萩茗荷村を訪ねて(3)

これまで述べた「大萩茗荷村を訪ねて」は、茗荷村のある側面を明らかにする上では、有り様を幾らか示せた点、
意味のあったことは確かだ。
しかし
障害者福祉が、障害者本人を取り巻く人々といびつな法律(障害者自立支援法)及びその出先
(役所)によって、ボク(ら)の非力によって、食い散らかされた惨劇は今も放置されたままだ。

憧憬と異和の扉・・・それを突破しながら山麓の風と内なる声によって通じあう獣道をも・・・
これもまた、自分の断念と不安と根の深い欠如の中に引き込まなければならない。

憧憬と異和の扉・・・・それを突破した先の先に、おそらく茗荷村は屹立している。

『 NHKスペシャ
障害者問題に先駆的に取り組んでこられた主に糸賀一雄さん、そして池田太郎さんと茗荷村をつくられらた田村一二さんが
NHKスペシャル「〜ラストメッセージ この子らを世の光に〜」で、取り上げられました。
今年の3月に放送されましたのでご覧になられたかもしれません。
番組の大萩茗荷村のところでは、田村一二さんの思いが述べられ、今現在それがどうあるのかと言う風に放送されました。
その中で障害者もそうでない人も混じって、繋がりを持ちながら支えあって共生してゆく、田村一二さんの篤い思いは大萩茗荷村
などで受け継がれていると紹介されました。併せて、障害者と同じく、養育里親の事が紹介されていました。Mさんの家族の紹介です。』

事例:
2日目のスッキリした陽ざしの良い午後、彼に薪割りを手伝わせて欲しい、薪割り  
を替わって欲しいとお願いしました。彼はこの冬に備えて大量の薪割りをしていたか     
らです。キッパリと自然に拒否されました。
何度もお願いしましたが、キッパリ断られました。
「これはボクの仕事・・・。これはボクの仕事・・・。駄目・・」と。

・事例:
茗荷村全体で、皆で繋がりあって養育里親として25人の子供を育てている。養育里親と共にある子供たちは、
ボクらをやんわりとしめつける幸福の欠如に無頓着なのだろう。
否 彼女らや彼らは、ボクらをやんわりとしめつける幸福に無頓着なのだろうか?

(ボクらをやんわりとしめつける幸福の陰画は、若人を中心に、ちょっと息苦しくてしょうがない。親と子との間とか、家族
の中にある自分に、息苦しさがある。東京に住んでいる人とかは、渋谷あたり行ったり、渋谷がない人は自分の街のコンビニの
前でたむろしたりして・・・、夜更かししたり、その辺でごろ寝したり、知人友人のところで2泊3泊したりして・・その後家に
戻ったりしているようだ。)

茗荷村の彼女ら彼らには、村での有り様と言うか素朴な姿以上に、あるたくましささえ感じてしまいます。里子の高校生(2名)は
学校が休みの日には、茗荷村の食堂の仕事を行っています。


・事例:
工房Wと茗荷村とは、CM的に言えば生活快適空間の落差であり、それは生活環境の大きな格差になっています。
工房Wは、山奥から山を降りた里に位置し、いわゆる授産施設です。
工房Wは、近代的な福祉施設ですが、茗荷村は日本のむかしながらの山村民家です。
目下、知的障害者などW就業者(賃金労働者)は、ごく普通に工房Wと茗荷村を車に乗のって、往復しています。
何故、山奥の過疎な村で、緊急時には医者もいない茗荷村に住んで、工房Wへ往き復きしているのだろうか?
当然工房Wには、茗荷村の村人の他に、この町の人からの利用もあります。
工房Wに就業している茗荷村の村人(障害者、利用者) は、知的におくれているので、本人たちが良く納得しないうちに、強制了解
してしまっているのだろうか?

この冬も車で送り迎えされながら、平日(月曜日から金曜日)は仕事に行っている。
そして、今改めて、みんなの事を見つめ直して見ると、みんなを取り巻く状況は、いろんな異物が重層的に引っ張りあっているが、
そうした事をあたかも無視したように軽やかに蹴散らかしているようで!その姿は、掛値なく光り輝いている。


おそらくボクらをやんわりとしめつける幸福は、惨劇と等価なのだろう