異論

障害者の就労問題とは、職業的な専門性を誰もが、もちろん障害者の誰もが
身につけられる体制つくりと併せて不安定な生活を支える生活基盤(生活資金)を初めとした支援策の問題が第一番である。

皆は、職業的な専門性など、先の先の段階でその前に基本的に一般就労の為に、通勤や定時出勤のルールが身につかない事などを挙げて、それを解決することが、障害者問題の課題だと勘違いしている。
生活基盤についても、同じく、行政や誰かの、それなりの支援がないと生活基盤が確立出来ない事は歴然としていて、それを断固実行することであるが、それで障害者への自立支援が完結するのでない事は、明らかである。

障害者の誰もが、障害者は、自身に応じて職業的な専門性を身につけられなければならない。
知恵が遅れている人は、知恵を育むことに課題を絞りこむ事ではなくて、身につける専門性などを、知恵の遅れている彼に合わせる事にこそ、軸をおくべきです。
理念の指し示すところは、障害者と我々の共生として職業的な専門性を誰もが身につけられる体制整備と合わせて、いわゆる既成の職業的な専門性を変革して、例えば知恵が遅れている人に、合わせた専門性の軸を作り、その方向でのニューバージョンの職業的な専門性を彼らが身につけられるように構築することです。

私は、回りくどい言い方をしていまいましたが。誤解を恐れずに、簡単に言えば・・・。
障害者の誰もが職業的な専門性を身につけられる体制整備を、我々、障害者の自立を支援する側の人間が、考え方や理念において、本当は、阻害していないか、問うべきと言っています。

もっとも大切な事として、問うています。
例えば、日々の職業的訓練において雑巾しぼりが出来ない人が、様々な試行錯誤と日々の積み重ねの後、雑巾しぼりが出来るようになった時、その事を私がこころから褒めてあげるんじゃなくて、その人の有り様を私が心から尊敬できるかです。

理念としては、障害者と共生するノーマライゼーションは、別途の彼らに見合った“職業的な専門性を身につけられる体制”を我々が既成にとらわれる事なく創生することです。


それがないいまの福祉政策は、全部、彼らを甘やかす事で、居心地の良い空間をつくるか。さもなければ、最初に一般就労ありきの、今のダメ就労移行政策状態しか生まれません。

生活基盤についても、
日々の生活に必要なお金をいろんな年金などで手当てすることと併せて、働かないとお金を稼がないとお飯を食べていけない事を、障害者とその家族などが把握するように支援や努力を注ぐことです。(お金の事や、金額が分からない事を前にして、どうするのか? 気の遠くなるような作業ですが、他に方法が見つかるまでは、やるしかないと自分は考える。*⇔賃金労働で大多数の人がめしを食う時代の制約を、今日的であることを、歴史的に顧みる事です。)