老婆心

8/31付 朝日新聞によると。

「外国人研修生も手当から報酬・仲介業者 不正横行」とある。おなじく同新聞の記事説明キーワードによると
「1981年度よりに外国人研修・技能自習制度で、開発途上国の人材育成を目的に創設さらた。」
で、記事の言うところは、いわいるピンハネである。
記事のスタンスが不明でよく読まないと洞察の助けにならない部分があるのですが、ようするにピンハネであり、
なんでそれが見過ごされていたのか?
いつから、酷いのか?チョトと読んでは、ボクの頭では分からない。
が、
企業の側。企業の対応窓口-総務とか人事に採用の側の責任を課すことが必要と読み取れます。

(* チュウカ!日雇い派遣の問題も、雇用採用側の責任を努力義務で遵守できないやらない酷い現状があるから、罰則付き責任とせんとあかんのや!と考える。で世の有識者連中は、派遣にいろいろ批判を述べているが、企業側の責任明確化と併せて、<←これが最優先で第一。>わが国の企業側の企業存続の意識がここまで<←:契約や書類やハンコがあれば、責任なしで人件費を削減した姿での労働力が手当てできたら、順風満風と勘違いしているのや。>劣化したことを鮮明にアピールせんといかんのに!)

ところで
8月18日にインドネシアから208名の介護研修生がきてくれた。6ケ月の日本研修?を経て、もうしばらくして、介護の現場で働くことになっている。
この外国人介助研修生の受け入れ制度に、老婆心ながら、この朝日新聞の記事と同類の不正を
今から、危惧している。本当に。危惧している!

理由は、これまで官僚及びそのグルの有識者連中や有識者会議が、制度設計のミスをスポイルして、談合会議のようにしてプランをデッチあげているからや!そのいくつかは、通達批判としてブログでものべさせていただいています。
この、
「外国人介助研修生の受け入れ」についてでは、劣悪な労働条件とか言うこと以上に、有機的に自己変革する見通しのない
運動体(組織運営)の閉塞性を! その現状が野ざらしで放置されて制度設計がなされている。
賃金のピンハネと献身的?情熱的?ケアの狭間で、わが国のケアのコンセプトに外国人介助研修生が失望して行く途上で、賃金のピンハネが行わ
れる可能性が極めて高い制度設計になっていると推定する。
だから、受け入れ側にいろんな記録や会議のアリバイや、人権学習を義務化するのではなくて
制度設計に駄目施設を退場させる(退場してゆく)作用を内包した制度設計を、知恵を出して考えなくてはなりません。(*)

もっと言えば、どれほど考えて検討しても、制度設計に駄目施設の退場させる(退場してゆく)作用を内包した制度設計は不可能との、
中間報告ならば、・・・・
例えばの例えば
外国人介助研修生を主体的担当にしたサークルイベント(←なんでもあり・・)のコンテストを税金と施設の持ち出しで地域(県、市?)
で行うことを、明確にすることです。(お金は出すが、口はださないと言うことですね。)

私は、ピンハネがなければ、この制度設計で、妥当との立場ではありません。
福祉介護のみならず、例えば派遣でも、規制緩和を行う多様な枠において、規制緩和と言う
経済合理の自然な流れと抱き合わせに、駄目な努力していない怠慢な組織(企業、団体、施設)は、退場させる(退場してゆく)作用を
内包した制度設計退場が最優先でどうしても必要と申したいのです。

『家族による介護のみならず、「感情労働」としての介護においても、身体と感情をそこに深く介在させざるをえないがゆえに生じる悩みや苦境は限りなくある。そして、介護するものを深くインヴォルヴさせるこの介護関係においても、私的な世話であると同時にまぎれもない社会的労働であるという介護の不安的な位置は、これまで、無償のボランテイア精神や、ケアする者がケアのなかで逆に癒されるといった「特典」にすりかえられ、それがさらに低賃金を正当化する口実とさえされてきたことも、忘れてはならないだろう。ケアもまたケアする者に労働以上の意味をあたえ、その自発性に訴えかけることで、逆に労働としてのケアの条件の改善要求を「自発的」に萎ませ、さらにケアされる者自身にも「自立」という名のもとにサービス労働を強いてゆく現実があるという、渋谷望さんの「魂の労働」(:思想2001年1月号)における指摘は鋭いものがある。』
鷲田清一著 <弱さ>の力 2001年 講談社より」